もちもちの木。

kazuaki772006-09-21

今日、手入れでお世話になったお宅。
その御仁は大層植木が好きなもんで、そう広くもない庭によくもまぁ大人しく居たもんだというほどの太さの植木たちが肩を寄せ合っていた。
聞けば生まれは東京。
退職するまで生活も東京。
しかし植木が好きで、大きな庭に憧れて老後を田舎で過ごそうと越してきたそうだ。
これもまた酔狂な話。
都内の生活に比べたらそれは広い庭でも、田舎の庭はそれ以上に広い。
そう広くもない広い庭に、狭そうな植木たち。
体調をくずした御仁が手を入れなくなって丸2年が経つそうだ。
随分暴れている。
しかし植木に手を入れるとすぐに分かる。
体調の良かった頃の御仁がどれだけ丁寧に手を入れていたか。
素人目にはひどく伸び放題としか映らないだろうが、懐の手入れの跡、一昨年までの刈り込みの跡。
刈り込んだ後のすぐり方、芽の残し方。
そればかりか植木の配置をみても分かる。
小鳥の体をくぐり、実生で生えた雑木でさえ鋏の跡がある。
よっぽど好きだったんだろう。
丁寧に手入れされていた植木は、そうでない植木を手入れするより早い時間で済む。
それまで手入れしていた人の意思を植木は覚えているんです。
これが職人にはよく見える。
どんな高貴な寺の庭も、どんな小さな坪庭でも、作り手の意思がある。
どうして此処に石を据え、どうして其処に植木を植えたのか。
どうしても見せたい事があったり、苦心の末の結果が見えたりとか。
だから庭を見るのが面白くて仕方がない。
手入れの醍醐味もそのあたりにあろうと思う。
鑑賞でも手入れでも、植木に残る記憶を通して作り手との会話ができる。
大げさなと思うのも勝手だが、職人にしか見えないモンで、これは職人だけのもの。
しかしながら職業というものは楽しみばかりではなく、仕事上植えっぱなしにせざるを得ない現場もある。
自分で植えたものなら尚更手を入れたいし、その意思を繋ぎたいと思う。
仮に自分ができなくなっても、次の人がその意思を継いでくれる。
話が逸れたが、その御仁は自身の庭を半月もかけて毎年毎年手入れしていたそうだ。
その意思を受け継ぎ、今日の1日で庭の3分の1をやっつけた。
早さと腕じゃぁ勝るものの、植木に対する気持ちではやや劣るかも知れない。
御仁は今年で御歳77になる。
初めての現場だが、庭のことは任せとけ。
まずは体調が一番だと思いながら鋏を握った現場でした。
画像は、さっぱりとした手入れ後のモチの木。
沢山の実をつけていました。
その気持ちに追いつけ追い越せと、日々精進。
 
かずあき