職人芸。

およそ職人の技の習得には多くの年月を必要とする。
高い報酬をいただくのであるから当たり前といえば当たり前。
その分修行の内容も厳しいものだし頭でも言ったが長い年月が要る。
しかし昨今、それも変わってきているような気がする。
修行時代の大先輩である長老や、社長の話を聞いても下積みは相当大変だったようだ。
多少の尾ヒレはついたとしても、随分苦労したように思う。
植木なんかでは機械化した仕事も結構ある。
簡単に言えば生垣なんかを刈るトリマーなんか。
消毒だって動噴がある。
精神面でも今よりも随分と厳しかったようだ。
それから仕事全般でも言える。
昔、職人さんといったら人には出来ない仕事をしているというイメージがあった。
今だってそうだろうが、丸2年やってみて、職人技を駆使して高い料金で庭をいじったり作ったりしようなんて人は最近あまり居ないようだ。
それこそお客さんの要求は「早い・安い・うまい」の三拍子。
牛丼屋のようだ。
最後のうまいだって綺麗に見えればそれでいいという程度のもの。
できないならシルバー人材で済ませてしまった方がいいという。
もう植木屋の需要は無いのだろうかと思ってしまうくらいだ。
植木は所詮余り金だと馬鹿にされればそれまでなのだろうが、なんだか悔しい。
どの職人も同じだが、つらいく長い修行期間を終えていざ自分で始まっても果たしてそれほど需要があるのだろうかと考えたとき、若い人がいなくなるのもわかる気がする。
だからテレビで職人の特集なんかやっていると、思わず見入ってしまう。
どんなジャンルでも見てしまう。
一部の職種では伝統として残していこうという動きもあるが、さて植木屋はどうだろう。
植物という大きなカテゴリで考えるなら科学者だって居る。
エコロジーとう動きの中で考えるなら知識があるだけで十分なのではないか。
良い水分、良い土壌、良い日照さえあれば大抵の植物は植えることができる。
植木というジャンルは手入れもあるのでそれだけじゃねぇと言いたいところではあるが、先で言ったようにそれも余り金なのかもしれない。
職業として、商売として考えるなら研究してる方々に一本とられているような、そんな気持ちさえしてくる。
なんだかなぁ。
エコにしても商売にしても細かいことを言い出せばいろいろあるだろうが、なんだか最近考える。
これから梅雨だってのに。
またじめじめして商売にならない時期がくる。
まぁ、然して問題じゃ無いか。
頑張ろう。
 
日々精進。
 
かずあき