偕楽園。

kazuaki772005-03-06

やはり現場の都合で今日の仕事も半日であがり。
まぁ、日曜だしいいかな。
ってことで、予想外の時間の空きに何をしようかと。
思いつきで行ってきました。
偕楽園
都心へ行くよりも距離的には遠いという県庁所在地、水戸へ。
昼飯を食ってから、一路北へ。
出発してから水戸までの距離をみてちょっとだけ後悔しましたが(笑)
しかし着いてみると、時間的には40〜50分というから驚き。
北へ向かう常磐道はスイスイでした。
いや、休みとあって偕楽園は大混雑。
主に年寄りで(笑)
平均年齢高かったですよ、ホント。
 
いやはや、咲いてました。
綺麗に。
それがコレ↓

 
 
おっといけない、これは綺麗に咲いていた梅娘でした(笑)
毎年梅の時期に咲く綺麗どころです。
それはさておき、今回は東門という入り口から入りました。
門を抜けると其処は梅林。
左手には千波湖
また此処が絶景。
仙奕台からの眺めは、千波湖を一望できる。
仙奕台の奕とは囲碁の盤の事だそうで、そこで碁や将棋を楽しんだそうだ。
下からの涼風が心地よいと書いてあったが、まだ寒い(笑)
歩を進めると好文亭が見えてくる。
途中には咲き分けの梅がある。
しぼりの花から色付きの花からと、一つの樹から咲くらしい。
まだ咲いてなかったですけど。残念。
偕楽園の中心である好文亭は木造2層の3階建て。
建物はまさに伝統建築。
残念ながら昭和20年8月 (1945年)戦災により全焼。
昭和33年2月(1958年)に復元されたもの。
しかし徳川の頃には詩歌や慰安会を催したといわれる。
それだけでなく、展望の良いところにあるということで、水戸城の弱点とされた西側の物見櫓として、つまりは出城としての役割も果たしていたそうな。
そのくらいだから展望は良。
徳川斉昭がコヨナク愛したという3階は楽寿楼と呼ばれる。
その眺めが、こちら↓

 
やや、カメラが下向きになってしまったのが悔やまれる(笑)
でも庭を入れたかったので。
なんともまた、良い景色。
眼下のツツジが咲く頃にまた行こうと思う。
その景色に見とれつつも、好文亭を後にする。
 
好文亭の裏手(正確にはその先に表門があるので好文亭が裏手になる)には見事な孟宗竹と杉の林。
足元にはクマザサとオカメザサが茂る。
まさに、幽遠閑寂の世界(パンフのぱくり・笑)
それがこちら↓

花粉症の方は身震いものですね(笑)
しかし此処は異世界です。
人が多いのがアレでしたが。
閑寂を抜けると其処には殊更に大きな杉。

太郎杉という足元は大人6〜7人が輪をつくれるかという太い杉がある。
樹齢にして700年。
さすがに縄文杉ほどではないですが。
その傍らに吐玉泉。
清冽な水が湧くとされるのに、飲むなと書いてありましたよ(笑)
 
その足で常盤神社へ。

こちらも昭和20年8月戦災により焼失し、現在の建物は昭和34年の造営になる。
正面右側には義烈館

能を舞ったりするような舞台が。とても綺麗。
一度見てみたいんです、能楽とかも。
そして左奥には水戸黄門で有名な光圀公の親が祀られるという三木神社が。

こちらはとても質素ではあったが、とても神聖な感じ。
空気が張り詰めているというか・・・。
ちょっと、恐かった(笑)
 
まだまだ紹介しきれません。
徳川斉昭は烈公と呼ばれていたらしく、その名を冠した烈公梅なるものもある。
その他にも偕楽園には謎もまだ多く残されているらしく、南側には謎の洞窟なるものまであるらしい。
そこまでいくと歴史になってしまうので、調べてからまた書きたいと思います。
左近の桜や2回咲くという二季咲桜などもかなり魅力的。
ということで、続きはまた桜の時期にでも。
 
偕楽園
侘び寂びよりも時の権力者の力を感じました。
あれほどの庭園。まさに大名。
今回は、大名庭園というタイトルに相応しい内容でした。
久々に、職人な噺が追加できそう。
サクラサク頃に、続く。
 
日々精進。
 
かずあき