一番大事なものとは

「職人にとって一番大切なものは何だと思う?」
矢庭にそう聞かれた事がありました。
その人は同業者の先輩。
といっても自分の会社を持ち社員を何人も抱え、歳も相当離れている人。
「そうすねぇ、鋏(はさみ)っスかねやっぱり」とオレ。
「そう言うと思ったよ」
なんだ。違うのか?
だってオレも先輩も同業者。つまり植木屋。
となればやっぱり鋏だろ。違うのだろうか。
「違うんですか?」と馬鹿な質問しか出来ないオレ。
「まぁ、半分は当たりだな」
半分!?
益々解らん。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 
解らん。
「どうだ?少しは考えたか?」と先輩。
少しどころの話では無い。
寧ろ相当考えた。が、解らん。
「いや、解んないっス。半分ってのが余計に解らなくなりました」と馬鹿なオレ。
「確かに鋏は大切なモノだよ」
呑みの場で酒も少々まわってきている。
先輩はイケるくちだが、オレは全くの下戸ときた。
漸く先輩の重い口が開いた。
「植木職人としての腕を使うには確かに鋏が必要だ」
そうだろう、鋏が無きゃ何も出来ない。
「そういう意味じゃ半分当たり。
 だけど職人にとって本当に大切なモノってのは箒(ほうき)なんだよ」
箒!?掃除かい。
まずオレはそう思った。
「箒ですかぁ・・・」
「なんだ、拍子抜けって顔だな」
なんだか説教が始まりそう・・・。
「いいか、良く聞け。どんなに手入れの腕が良かろうと、どんなに良い庭が造れようと、掃除の出来ない職人はいつまで経っても半人前だ」
長くなりそうだ・・・。
「昔の職人は弟子入りして何年も庭造りはおろか鋏さえ持たせてもらえなかったんだよ。どんなにキチっと手入れしても下が汚いんじゃやってないのと同じだ。結局最後は綺麗な庭にしてナンボだからな、植木屋は」
確かにそうだ。
松の葉一枚残してはいけない。
石ころ一つでも持ち帰ってはいけない。
そういう掃除が出来て初めて綺麗な手入れや造園が出来る。
そして良い庭が出来る。
当たり前の事なのにどうして思いつかなかったのか。
そして先輩は酒を煽り、続けた。
「いいか、良く聞け」
さっきから聞いてます。
「職人足る者決して箒をまたいではいけない。放り投げるなんてのはもっての外だ」
あぁ、ごめんなさい。もうしません。
「道具は日に7回拝めと言われたもんだ」と先輩。
7回も拝むのか。
曰く毎日使うものだからこそ大切にしろとの事。
九十九神ってのもいるくらいだからね。
昔の人はつまらない物でも九十九年経てば神が宿ると考えていたそうだ(だっけ?)。
「話が逸れたが詰まりこういうことだ。
 鋏は職人の腕を表し、箒は職人の心を表す」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鋏は職人の腕を
箒は職人の心を
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その言葉はその頃の自分にとても重く、そして感銘を受けたのをハッキリと覚えている。
それ以来、一度も箒をまたいではいない。
またげなくなったといった方が正しい。
どこか自分の職人としての心構えを蔑ろにしているようで。
どんなに忙しくてもその教えは今でも守っている。
腕はまだまだ未熟かも知れない。
ただ職人としての心意気は誰にも負けないつもりだ。
独立をして早半年。
ふとあの先輩の言葉が思い出されたのはどこかで気が緩んでいたのだろう。
時に新築の一般の家や、新規のマンションの植栽工事の際、前の業者さんが置いていってしまったゴミまで片付ける事がある。
植木屋が現場に入るのは決まって最後の方だからだ。
泣きをみるのはいつも植木屋。
そう思っていた。
でも今では違う。
職人の心を置いていってしまったような人達には負けない。
それら全てをオレの気持ちで汲んでやろうと思うようになった。
職人としての心意気を磨こうと決めた瞬間でした。
もちろん植木職人としての腕も上げていく所存です。
「職人にとって一番大切なのは箒である」
「鋏は職人の腕を表し、箒は職人の心を表す」
名言です。
日々精進。
 
かずあき