水。

水というものは実に素直であると思う。
高きから低きへと流れる。
そして目の前に何があっても決して逆らわず、それを分けて流れる。
庭に流れを作る際、水分け石というものを置く。
水の流れを2つに分ける石である。
この流れのどちらに花びら、若しくは落ち葉が流れるかを古人は眺めて楽しんだそうだ。
水の流れを止めるには、膨大な容量を要する。
 
そして水というものは実に自由であると思う。
無色透明。それに形も無い。
奔放に曲がり、大きく広がる。
そして多くの生き物を懐に抱え、悠々と流れる。
その自由さゆえ、庭に引き込むのが難しいとき、枯山水というものを作る。
それは水が全く無いにも関わらず、大きな庭石と小さな砂利で流れを表現する。
大仙院の石庭、龍庵寺の石庭がとても有名。
 
そして水というものは実に強靭であると思う。
気が遠くなる程の年月を使い、岩盤でさえも切り崩す。
時に暴れ、全てを飲み込む。
あふれる水の勢いは山でさえその内側から崩す。
その強さから、灯篭など加工される石のほとんどの技術は水である。
圧を加えその勢いで石を切断する。
 
生活の中で、あまり気には留めないが常にそばにある水。
素直であってしかし芯はとても強靭で、そして自由である。
ふと、そんな水のような人間になりたいと思った今日。
 
日々精進。
 
かずあき