曲がる臍。

およそ自分の臍でさえまっすぐ付いているとは思わないが、植木屋という職業には曲がって付いている人間が多いようだ。
というのも、いつだったか買い物かなんかの帰り道、煙草を買おうと自販機の前で車を停めた時のこと。
そして小銭を探しながらふと顔を上げると、近所の家の庭に60の峠もそろそろ越えようかという爺さんが植木の手入れをしていた。
元植木屋のシルバー人材だろうかと思った。
旅館に行けば庭が気になり、その道中に植木屋が居れば気になり、何処に行っても目がいってしまう。
好奇心に勝てず、その爺さんに声を掛ける。
 
オレ「すっきりしましたね」
 
当時、褒めたつもりで掛けたその言葉に爺さんは仏頂面で振り向いた。
なんだか機嫌が悪そうだ。
 
爺さん「すっきりなんぞさせようと思ってなんかいないよ、あんちゃん」
 
返ってきた言葉に面食らった。
普通ならありがとうとかこりゃどうもとか、そんな言葉が返ってくるはずだと思った。
微妙に間の抜けた顔でいると、爺さんは続けた。
曰く、
造った庭の植木は、好きでそこに居る訳ではない。
人間の勝手でそこに植えられ、仕方なしに居るもんだ。
そしてその庭の主がその植木と居たいから手を入れる。
人間が一緒に居てもらいたいがために、申し訳ないが枝葉を切らせてもらう。
詰まるところ植木と一緒に居るために、せめて植木が過ごし易いようにするのが手入れだ。
結果すっきりとするだけで、それが目的では無い。
まったく臍の曲がった話だと思った。
が、よく考えるとその通りだ。
確かに古い考えかもしれないが、植木に接する姿勢はそうあるべきなのかもしれない。
これは申し訳なかったと侘びを入れて、しかし職人気質ですねというと、その爺さんやっと笑って自分は素人だと言った。
好きで自分の庭の手入れをやっているだけだったらしい。
職人が素人から教わることもあるもんだと思っていたら、知り合いの植木屋の受け売りだとじいさんは言った。
なるほどへそ曲がりな親方だ。
以来、すっきりしましたねとお客さんから言われる度にそのときの爺さんとのやり取りを思い出す。
さすがに仏頂面をして、薀蓄をたれはしないが心の中では違うんだけどなぁとか思ってたりする。
皆さんも、へそ曲がりな植木屋を相手にするときは褒めるときでさえ気をつけますように(笑)
 
日々精進。
 
かずあき