カズ坊。

なんだか眠れない。
寝るときはいつもオーディオのタイマー機種を使って音楽をかけっぱなしで寝る。
部屋がかわる前はSOTECのAfinaというシリーズのPCを使っていた。
もちろんMe搭載。
http://www.sotec.co.jp/direct/options/audio/op-vh7pc/
こいつはなかなかAV機能が充実していて、オーディオが独立している。
ので、PC自体が起ちあがっていなくても音楽が聴けた。
なかなか重宝してました。
移動してからはPCを新しく購入したので、オーディオの必要性を感じる。
音楽を聴いていると寝つきも違うのだが、PC起ちあげっぱなしというのも。
だから折角なので、いつか長々と書いて消えちゃった日記をまた書こうと思う。
思い出せるだけ。
 
自分には母親が2人居る。
といっても悲しい話じゃ無い。
まだオレが、カズ坊と呼ばれていた頃。
幼稚園に行くよりも以前の頃。
 
当時うちは千葉県の大きめな通りで商売をしていた。
そして自称「育ての親だ」というその人キクエさんは、交差点を挟んではいたがうちと同じ通りの同じ側に店をかまえてやはり商売を営んでいた。
キクエさんの店は当時は多かったスーパーというか、お菓子屋さんというかそんなお店だったらしい。
「らしい」というのも、この話も居酒屋店主あのべのママ、つまり産みの親から聞いた話。
あまり小さい頃のことを覚えていない。
小さい頃というか、小学生の頃でさえ定かではない。
きっとノーミソがアレなんだろう(笑)
だから以下「らしい」は割愛。
話が逸れたが、そのキクエさんのお店にオレは毎日のように1人でお菓子を買いに行っていた。
両親は忙しく商売していたし、交差点を挟んでも目の届く距離にあるので丁度良かったのだろう。
しかしお菓子を買ってすぐ帰ってくる訳ではなく、キクエさんのお店に上がりこみ、遊んでくるのだ。
ちょっとした託児所である。
同じ通りの顔見知り。お互い行き来もあるので親としては安心。
うちはこの頃からすでに放任主義だったようだ。
そしてその日もいつものようにカズ坊は「おつかい」に出る。
 
母親(産)「はい、100円。無くすんじゃないよ?」
 
カズ坊 「ん。」
 
母親(産)「ちゃんと挨拶するんだよ?」
 
カズ坊 「ん。」
 
母親(産)「横断歩道はちゃんと手をあげてわたるんだからね?」
 
カズ坊 「ん。」
 
ちゃんと分かっているのかいないのか、あやふやな返事を3回かましてテクテクとキクエさんのお店に歩き出す。
そして時間がくると帰ってくる。
それが日課だった。
そんなある日。
キクエさんがうちに買い物に来た。
 
母親(産)「あらいらっしゃい。いつもお世話様。悪いわねぇ。」
 
母親(育)「いえいえ。そんなことよりカズ坊なんだけどね。」
 
母親(産)「なんか悪いことした?」
 
母親(育)「いやそんなことしないけどね。」
 
母親(産)「じゃどうしたの?」
 
母親(育)「いつもカズ坊お金持ってこないのよ(笑)」
 
母親(産)「えぇ!?いつも持たせてるよ?」
 
母親(育)「おかしいなぁ。」
 
てっきり買って食べているのかと思っていた。
これはおかしい。
そして次の日。
いつもの台詞にあやふやな返事を3回し、テクテク歩き出したカズ坊のあとをつけてみることに。
多少の余所見をしながらも確かな足取りでキクエさんのお店に向かう。
そして交差点に差し掛かった。
言われた通りに手をあげるカズ坊。この頃から器の大きさを見せ始める。
しかしその時。
こともあろうにあげたその手から買い物をするはずの100円を投げているではないか(笑)
がび〜ん
つまりカズ坊の頭のなかでは、
100円を無くさない→挨拶をする→手をあげる
と、3つの情報をすべて覚えるまでには至らず、最後の手をあげるということしか覚えていなかった。
トコロテン方式である(笑)
器が大きいどころか、むしろちょっとアレだったようだ。
そしてこの怪事件はカズ坊がちょっとアレだったという結末で幕を閉じることになる(笑)
当時、幼かったカズ坊でも行けた距離は東京と茨城という長い道のりになってしまったが、20年以上経った今でも「育ての親」は時々「カズ坊」を訪ねて来てくれる。
さすがに「カズ坊」とは呼ばなくなったが。
そんなキクエさんからお小遣いをもらってしまった。
今年29にもなろうかというのに。
もちろん「無くすんじゃないよ?」といわれる。
今年29にもなろうかというのに(笑)
 
幾箇所かの寄り道と紆余曲折を経て、何とか此処まできました。
聞いた話なので多少間違えているかもしれないけど、面白いので書いてみました(笑)
そんな大名庭園をこれからもよろしくお願いいたします。
あぁ、眠くなってきた。
そろそろ寝るか。
 
日々精進。
 
カズ坊