一度だけ。

植木屋になってかれこれ9年になる。
18のガキの頃から植木に携わり、21まで親父と一緒でした。
21で親父と大喧嘩をして家を飛び出し、修行へ。
以前勤めていた会社の社長に拾ってもらい、去年辞めるまで6年ほど世話になった。
其処で初めて他人のメシを喰った。つまり給料をもらった。
一人暮らしを経験し、仕事の本当の辛さを知った。
生活をするという事、つまりは生きていくということを知った。
勤め始めた頃はたいしてもらえる訳も無く、毎日がカツカツの生活だった。
その頃は人間関係も上手くいかなかった。
現場の長が70越えたじぃさんで、これがまたヒドイ人。
自分を含めて若衆は4人いたのだが、そのうちの1人がお気に入りで、オレは嫌いだったらしく毎日のようにヘコまされた。
今でも語りぐさになっているらしい(笑)
あれはヒドイ虐めだったと(笑)
周りが気を遣ってくれるのさえ、痛かった。
ま、辞める前の2年くらいはヘコませてやりましたけど。
そこの社長はとても腕がいいと評判。
今でもあの人の松の手入れを見たときの衝撃は忘れない。
手を入れてあるのに、切り口がまったく無い。
勤めていた6年の間、松の形が損なわれたことなどただの1度もなかった。
口数の少ない人で、雇ってもらうときも、「じゃ、明日から来い」
と、それだけだった。
職人は褒めたら終わりだと、社長から教わった。
つまり、日々の精進をやめた職人はそこまでにしかならない。
満足したら終わりだと。
口数が少ないうえにそんな感じだから、かばってなんかくれない。
まぁ、かばって欲しくもないけど(笑)
ただ怒るときはスゲー恐い。
未だにディーゼルのエンジン音が恐い(笑)
社長ディーゼル車に乗ってたから。
ディーゼル病(笑)
 
ある日、自分はまったく関係無いところで揉め事があった。
社員どうしの衝突。
当たり所を探していた長老は俺を槍玉にあげた。
それまでムカつく奴は殴り飛ばしてきたが、相手はジィさん。
しかも会社にも居づらくなる。
やめれば生活も行き詰まる。
心から悔しいと思った。
初めて悔し涙が流れた。
そして、初めて植木屋をやめようと思った。
仕事だけでなく、生活さえ侭ならない。
人との付き合いすら上手くいかない。
無力さと甘さを痛感した時でした(笑)
そんなヘコ〜んな毎日を送っていたある日。
社長と2人で手入れの仕事に行く事になった。
現場が幾つかかぶってしまい、手分けになったから。
いつもなら仕事を盗めるチャンスに喜ぶところだが、その日はまったく嬉しくなかった。
上の空だったし。
案の定、怒られた(笑)
それでも1日社長と2人で松の手入れをした。
現場の帰り際、社長はいつも自分の仕事を確認するかのように、現場を見つめて煙草をふかす。
1mgの軽いやつ。
その間にその日の片付けを済ます。
帰り支度ができると社長がトラックに乗り込んできた。
実はこのとき、辞めたいと言うつもりだった。
タイミングを見計らっていると、社長がポツリともらした。
「手入れ、上手くなったな」
ビックリした。
後にも先にも褒めてもらったのはその時だけ。
嬉しかった。
とても、嬉しかった。
全てに否定されているような気になっていた阿呆な自分が、どれだけ小さかったかが解った。
ってか、単純に認められたのが嬉しかった。
今思えば、社長もいろいろ考えがあったのかもしれない。
人数が減るのがマズイとか、実は励ますために言ったのかとか・・・。
でもそれでもいいと思う程、嬉しかった。
あの一言がなければ、きっと植木屋をやめていた。
とても、感謝している。
それを言葉として伝えた事はないけど、伝わってたらいいなと。
それからは、仕事で恩を返したいとえらく奮起したのをよく覚えている。
我ながら、単純(笑)
貫き通すのも勉強だが、耐え忍ぶのもまた然り。
それをきっかけに、親父に会おうとも思ったり。
ま、これ以上ないタイミングの一言だったのは間違いない(笑)
今では親父とも仲良くやっている。
嘘だけど(笑)
喧嘩するし。
 
過去、やめようと思ったのもその時だけ。
これからもやめようと思う事やら、それ以上の厳しい事もあるかと思う。
が、やめない。
と、思う(笑)
あの人に、負けないくらいの社長になりたい。
そして、若衆にやたらに言ってやるんだ。
「手入れ、上手くなったな」(笑)
まだまだ懐の、深さが足りないみたい(笑)
 
日々精進。
 
かずあき